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箱根駅伝、泣かない男「村澤明信選手」

2017年01月27日

毎年、様々なドラマを見せてくれる正月の風物詩、箱根駅伝。
今年は往路の4区と5区の距離変更などもあり、また例年とは違った戦略や作戦が必要とされそうです。
原晋監督率いる青山学院大学は、毎年ユニークな作戦名で楽しませてくれます。
今年は、応援してくれているすべての方たちに感謝の気持ちを込めて「サンキュー大作戦」を発表しました。
「サンキュー大作戦」には大学駅伝3冠・箱根3連覇の意もあるそうで、期待と注目が集まりそうですね。

正月2日、3日の箱根駅伝に先駆けて元日に行われるのが、「ニューイヤー駅伝」です。
このニューイヤー駅伝は、箱根駅伝を沸かせたランナーたちが、実業団駅伝デビューすることでも知られています。
見知った大学生ランナーたちの顔を元日に見つけることも、また駅伝好きとしての楽しみのひとつです。
個人的には今年の箱根駅伝で注目したいのは、2日往路のスタジオゲスト、東海大学0B・日清食品グループの村澤明信選手です。
駅伝ファンであれば、村澤選手を知らない人はいないと思います。
村澤選手は高校時代から海外の選手(アフリカ勢)たちと互角に渡りあることができるランナーでした。
東海大学への鳴り物入りで進学すると、2年生からエース区間である花の2区を3年間走り続けました。

しかし、大学4の年、村澤選手は箱根路を走ることは出来ませんでした。
夏に足を故障し、箱根駅伝の予選会を走ることができず、チームは箱根駅伝への出場権を逃してしまったからです。
予選会を走ることができなかった村澤選手は、学連選抜に選ばれることはできませんでした。
大学生活の4年間、村澤選手とともにチームを牽引してきた早川翼選手(現・トヨタ自動車)が学連選抜に選ばれると自ら「給水員」を志願します。
そして早川選手が走ったのは、村澤選手がエースとして3年間走り続けた2区でした。
早川選手は村澤選手からボトルを受け取ると、なかなか返そうとはしませんでした。
給水員が併走できる規定距離ぎりぎりまで、村澤選手と2人で最後の箱根駅伝を併走したのです。
最後の4年目、戦友の「給水員」として箱根を走ったのでした。

村澤選手は「涙を見せない」選手だと思っています。
もちろん人のいない場所では、たくさん涙を流していると思います。
別に泣く選手がダメ、とか言っているわけではありません。
泣いたって全然いいと思っています。
駅伝は団体スポーツの要素が大きい競技です。
個人個人のタイムの積み重ねがチームの成績に繋がるので、その責任やプレッシャーも大きいと思うのです。
その分、様々な感情が入り混じり、勝っても負けても涙を目にすることが多いのではないかと感じています。
そんな中で、村澤選手の涙を見たことは1度もありませんでした。

大学2年生の全日本駅伝、8区アンカーを任され、1分30秒以上の差を逆転して見事にシード権を獲得しました。
普段はあまり走らないアンカー区間のせいか、ゴール数百メートル前で襷をはずしてスパートしました。
アンカーは最終ランナーなので襷を外さなくても良いのですが、思わず癖(?)で外して走ってしまい、ゴール後に照れ笑いしていました。
その時、村澤選手はシード権を獲得したので、チームのみんなが大喜びしてくれると思っていたようです。
ところが実際はみんなが涙を流し、シンとしていました。
その姿はシードが取れて感激しているというよりは、村澤選手にすまなく思っているような、村澤選手の走りに感動しているような、テレビで見ていてそんな感じを受けました。
村澤選手の側で涙を拭っている早川選手に「もっと盛り上がると思っていたのに」と、ちょっとがっかりしているような、思いがけないチームの雰囲気に戸惑っているように見えました。
そして彼は相変わらず涙を見せることもなかったのです。

スポーツも好みがあるので、どうして走っているだけの競技を見ていて面白いの?と聞かれることがあります。
私は競技経験者でもありませんし、専門的なこともわかりませんが、それでも人を感動させる走りをすることができるランナーっていると思っています。
そして村澤選手はそんなランナーのひとりだと思っているのです。  


Posted by jacelynelle at 20:55Comments(0)スポーツ・運動